先日、友人の家族である犬のナナが天国へ旅立った。
この友人とは高校時代からの付き合いになるが、ナナとも同じ時に出会っている。
まだ子犬でコロコロしていて可愛いときだ。
友人の2階の部屋で遊んでいると、ナナはよく私の足の親指を噛んできたが、かなり痛かった。
友人は甘噛みだと言ったが私は本気で止めてほしいと思っていたので、ナナが追ってこれない階段へ逃げたものだ。
まだ子犬のナナは怖がって階段を降りることができないからだ。
その降りたくても降りれない臆病なナナがとても愛らしく思い出に残っている。
そんなナナも13才になっていた。
高校を卒業してからも1度くらいはナナに会った記憶があるが成犬になったナナよりも、私のなかでは子犬の頃の記憶が鮮明に残っている。
あの無邪気だった子犬が、あれから13年も年を取ったと思うと何か感慨深いものがある。
友人のように毎日顔を会わせていないだけに、すごく懐かしく感じる。何年も会っていない親戚のおじさんのように。
そして、ナナのことを思い出すとき、やはり自分の高校時代のことを思い出す。
普段はほとんど高校時代のことを思うことはないが、ナナをきっかけに、ふっと思い出に浸る。
ナナという存在が私の記憶の鍵の一部になっているのだと感じた。
確実に私のなかにもナナは存在するんだなぁ、と。
私は家で動物を飼ったことがないので、よりそう感じるのかもしれない。
突然、そのナナが天国へ旅立ったと聞いたときは大変驚いた。
あのナナが、、、と。
友人曰く、今年に入ってボケが始まり老化によって弱ってきていたようだ。
そんな状態とは思いもしなかった。
寿命でいうと、人間より当然早く天国へ行くのは分かっているがなぜか早すぎる感じがした。
でもそれだけナナが大きく成長して人生を歩んでいた証拠でもある。
この訃報を聞いたとき、同時に自分のなかの何かが変わった気がした。
やっぱりいつかどんな者でも終わりがくるんだなぁ、と。
いつまでも大切な人はこの世にいないんだ、と。
会えるときに会っておかないと後悔する、と。
それをナナから教わった気がした。
今は友人もその友人の家族もとても寂しく悲しいと思う。
しかし、いつかナナとの思い出が家族を笑顔にし、明るくすることになると私は願っている。
私はナナの家族ではないがナナが好きだ。
ありがとう、ナナ。
さようなら、ナナ。