私たちは病気やケガをした時に普通であることを望みます。
毎日、「普通に朝起きて、仕事に行って、帰ってテレビを見る」といった普通のことが大事に思います。
普段は当たり前すぎて気がつかないことですが、病気やケガをして初めて気がつきます。
軽いものであれば直ぐに良くなりますから、また普通の日々を送っているうちに忘れてしまいます。
しかし、重症になれば普通でない期間が長く続くわけですからより普通であることの大切さを感じるでしょう。
そうはいっても人は「喉元過ぎれば熱さも忘れる」もので、普通であることに注目しません。
これは人にとって良いことでもあり、悪いことでもあります。
あまり考えすぎても行動できなくなるし、考えすぎないのもダメです。
普通に日々生活できることは健康であるからです。
しかし、健康を意識過ぎるとホントに何にもできなくなります。
例えば、健康食ばかり気にしている人は結局何にも食べれなくなります。
体に入るものはオーガニックなものでないとダメだとかコダワリ過ぎて頑固になってしまいます。
テレビでアレが良いとかコレが良い。
実はアレは体に悪いものが入っているなど。
ホントに何も食べれなくなってしまいます。
これは本来の食事の目的を見失っています。
食事はただ食べるだけの行為ではありません。
そこには楽しく食べるや美味しく食べる等、感覚・感情的な部分が必ず作用します。
人にとっての食事はもっと精神的なもので作業ではありません。
だからと言って健康を意識しなさすぎても良くありません。
何事も普通で良いのです。
普通に健康であることが重要です。
私の治療院に来られる患者さんにも普通に健康でいることを重要だと認識しておられる方がいます。
初めは腰痛や膝痛などの症状で来られるわけですが、そのうちそれは良くなって気にならなくなります。
大抵の患者さんは良くなればそこで終わります。
多くの人は「喉元過ぎれば熱さも忘れる」のだと思います。
ですが、そこで終わらず続けたいと言われる患者さんがいます。
そういった人は日々、普通に健康であることの重要さを知っています。
トップに立つ仕事をされている方はこのことをよく理解されています。
自分がダメになると替えが効かないことを知っているからです。
だから健康でいる為に、定期的にメンテナンスしていたりします。
逆に普通に健康であることを当たり前と勘違いして無茶する人は同じような病気やケガを繰り返します。
今後こういった「健康格差」は広がってくるかもしれません。
普通に健康であることの有り難みをもう一度考える時が来ているのではないでしょうか。
定期的なメンテナンスといっても私が思うのは健康診断ではありません。
健康診断は現在の体の結果発表であります。
問題があればもう健康でないということを知るのみです。
そうではなくて、今、健康であることを実感できないと意味がありません。
体感していることが重要なのです。
例えば、施術を受けることによって施術前と体の違いを認識することを体感することです。
「あ〜ここが固くなって動きにくかったんだ!」と体の変化に気がつけることです。
自分の体を知ることから健康は始まります。
ホントは自分で調整して体を整えることができるのが1番良いと思いますが、1から自分に合った健康法を見つけて実践していくのは難しいかもしれません。
ひとつの選択肢として治療院に通って体を整えるのも良いでしょう。
「やる・やらない」の差はでるでしょう。
現代は昔と違ってAIが発達して、人が動く機会が減りました。
現代人の運動不足は常に懸念されています。
仕事も立って動くことが減り、デスクワークが主です。
そういった全身を動かすことのない動作が増えることによって体をどんどん丈夫でなくなってきています。
昔に比べて、不治の病で死ぬことは少なくなってきたかもしれませんが、腰痛や肩こり、不定愁訴などの患者さんは増加傾向にあります。
普通に健康で日々を過ごせることを大切に思い、体を整えて丈夫にすることの重要な時代が来ました。
このストレス社会を生き抜くにはまず健康な体が必要不可欠です。
『健康な体に健全な精神が宿る』と言うように、まず体を整え健康な丈夫な体にすることです。
そうすることで、さまざまなストレスから身を守れるようになると思います。
心と体を分けて考えている人が多いと思いますが、心と体はひとつです。
『健康に体を整え丈夫にすること』こそ、現代社会を生き抜くための秘訣だと考えるわけです。
その秘訣を実行するかしないかはあなた次第です。
おしまい、、、