どうも、すぐるです。
突然ですがあなたにとって良いセラピストとは何でしょうか?
ぼくは患者の今訴えている症状を改善してくれるセラピストだと思います。
根本原因の改善よりも目の前の症状の改善を優先する
痛みを何とかしてほしいのに、「運動しろ!」や「筋力つけろ!」、「体重減らせ!」、「姿勢を正しく!」というのはクライアント様にとって酷な話です。
まずは今まさに火の手が上がっている部分の問題を改善し消化するほうが大事。
そうしないといくらこの問題の根本原因はコレだといっても聞いてもらえませんし、納得もしてもらえません。
だってそうでしょ?
火事が起きてるのに消防士が火を消さずに「寝たばこ」が原因なのか「放火」が原因なのか一生懸命追求してたら、「原因追求はいいからとりあえず火を消してよ!」って普通はなりますよ。
たとえそれで寝たばこが原因だと分かって今後気を付けようと対策を練ったとしても、目の前の火は消えてないので被害は拡大する一方です。
だからまずはとりあえず目の前の症状を改善することを優先します。
お釈迦さまの説いた「毒矢のたとえ」
仏教のお話で「毒矢のたとえ」というものがあります。
施術のことを言ってるわけではないのですが、心に残り考えさせられました。
「毒矢のたとえ」
仏教は、実にいろいろなたとえを用いますが、その中でも特に有名なのが「毒矢のたとえ」です。
これは、自己とか世界とかについて、哲学的に満足のいく答えを聞かないうちは修行に励む気がしないという哲学青年に向かって、お釈迦さんが説いたものだとされています。
『ある時、人が毒矢に射られたとする。ところが、もしもその人が、かけつけてくれた医者に対して、「この矢を射たのは一体だれであるのか。弓はどのようなものであるのか。弦(つる)は何でできているのか。矢羽は、どんな鳥の羽であるのかが分からないうちは矢を抜くな」と言ったなら、その人は、それが分かる前に死んでしまうであろう。必要なのは、まず毒矢を抜き、応急の手当てをすることである』なんだのカンダノと哲学的なことを考えても、この世に現実としてある様ざまの苦しみが消えてなくなるワケではない。重要なことは、その苦しみをどうすれば無くすことが出来るかという事だ。というのが、お釈迦さんのいわんとするところです。
なんだか腑に落ちませんか?
根本原因がナンチャラっていうのを追求することは間違ってはいませんし、なんだったら正しいようにも思います。
ただそれは机上の空論であって、現実で考えると今まさに目の前で起きていることの改善が先です。
痛みだったらまずは痛みの症状をとることを最優先に考える。
それから痛みを起こすまでの原因になったのは何かを追求していくのが現実的ではないでしょうか。
ぼくがクライアントだったら絶対そうしてほしいですもんね。
「小難しい理論はいいから痛いの何とかしてくれ!」って。
これが正に現実だと思います。
慢性痛の多くはトリガーポイントの関連痛
目の前の症状が「痛み」である場合で考えていきましょう。
骨折や打撲といった急性の症状を除く、慢性痛はトリガーポイントの関連痛であることが非常に多くみられます。
だから今まさに慢性痛の痛みで困っているのであれば、まずはトリガーポイントの関連痛を疑うのがいいでしょう。
痛みの原因がトリガーポイントであれば、その場で施術すれば大概は痛みの緩和を実感できます。
とりあえず痛みが緩和してくれば、カラダもココロも少し余裕が出てくるのでセラピストの話が耳に入ってきやすくなります。
そこから根本原因についていろいろアプローチしていくのがクライアント様にとってもいいでしょう。
もちろん本当は同時進行が理想なんでしょうけど、すべていっぺんにやるのは難しい。
やってもいいけど、すべてが中途半端になってしまってはクライアント様にとって不利益。
まずは痛みの改善に専念するのがいいでしょう。
ぼくはそうしてます。
根本原因を改善しなければ本当の改善とはいえないという意見
最もな意見だと思います。
根本原因の改善をしないと再発の可能性がありますからね。
ただ慢性痛などの根本原因って日常生活の習慣だったりするので、いま直ぐに改善できるものばかりではありません。
時間がかかります。
それとクライアント様自身の努力も必要になります。
症状がツラいときにそれは酷ですよね。
だったら先に目の前の症状改善につとめたほうがいいと思いませんか?
優先順位を考えるのは重要なことです。
まとめ
・根本原因の改善の前に目の前の症状を改善させるのを優先したほうが良い。
・根本原因の改善には時間がかかるものやクライアント様自身の努力が必要なものが多い。
・慢性痛だったらトリガーポイントの改善を優先すると良い。